等々力に愛されたバンディエラ。


 どうも、いしかわごうです。

先日の仙台戦で、中村憲剛選手がJ1通算400試合出場達成となりました。

実はこの試合は、プレスパスの番号が偶然にも14番でした。

「J1通算400試合出場達成」という数字の偉大さを説明してきますね。

まずリーグは年間34試合しかないですからね、基本的には。一年間には小さなケガや累積警告などもありますから、不動のレギュラーと言われる選手でも、年間のリーグ出場数は30試合前後でしょう。100試合達成するためには、開幕戦からフル稼動すれば最短で3シーズン(34試合×3年=102試合)で、4シーズンで達成できれば、相当順調なキャリアだといえるでしょう。400試合ということは、そのサイクルを4回達成するわけです。自身に大きなケガもなく、さらに監督が変わっても試合に出続け、クラブもJ1というカテゴリーを下げずに戦い続けていることで、ようやく達成できる数字でもあります。

 中村憲剛選手の場合は、大学卒業してからプロ入りしてますし、川崎フロンターレでの最初の2シーズンはJ2リーグでのプレーなので、いわゆる高卒でJ1のチームに入った選手と比べると、6シーズン分のロスがあるわけです。それを経ての400試合達成となるのだから、恐れ入ります。

 ちなみに仙台戦の試合前日のこと。
J1出場400試合達成は、大卒では元日本代表MF藤田俊哉さんの419試合に次ぐ2人目の偉業ということもあり、憲剛選手は「自分の中ではそこ(400試合)がゴールじゃない。通過点だと思っている」と言いつつも、「俊哉さんの記録もあるし」と藤田俊哉越えを狙っているようでした。

 ただ小林悠選手からは「残念ですね。もう(藤田俊哉さんを)抜けないじゃないですか」というブラックジョークを言われて、「いや、今年、引退しねーわ・笑!」という、やりとりをしたそうです・笑。試合前日にそんなブラックジョークで憲剛選手をイジりながらも、試合では自らの2ゴールで偉大な先輩のJ1通算400試合を祝うのですから、ツンデレにもほどがありますね・笑。

公式戦通算500試合出場となった2015年の湘南ベルマーレ戦で負けたイメージが強いからかもしれませんけど、憲剛選手のメモリアルゲームはあまり勝率が良くなかった印象があります・・・・苦笑。

等々力劇場史上に残る勝ち方をするのだから、さすが等々力に愛されたバンディエラですね。

「祝J1400試合!これからも俺たちと共に突き進もう!!」

サポーターからはそんな弾幕が掲げられていました。

まだまだ、積み重ねていくのでしょう。

仙台戦のレビューも絶賛公開中。なんと11000文字のボリュームです。もちろん、中村憲剛選手のことも書いておりますよ。よろしくどうぞ。

10人でも引かなかったサイドの攻防戦と、破綻なく機能したケンゴのアンカーシステム。そして両SBの攻撃参加から幕を開けた、執念の等々力逆転劇場。(リーグ第29節・ベガルタ仙台戦:3-2)

ではでは。





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