どうも、いしかわごうです。
えーっと、ワタクシ、いまは北海道に帰省中なんですよ。
・・・やめて!「2015年になってから、一番どうでも良い情報を知ってしまったんですけど・・・」みたいな表情しないで!
画面の前でそんな冷たい視線を浴びつつも、なんだかんだで北海道生活を満喫してるわけですが、不満といえば、高校サッカーがあまり見れないことでしょうか。北海道代表の大谷室蘭が負けてしまったからなのか、あんまり中継されてません。ベスト4がそろったわけですけど、準決勝からはちゃんと放送するのかな。まぁ、その頃には東京に戻ってるんですが。
・・・よし!せっかくなので、川崎フロンターレ選手達の全国高校サッカー選手権話でもしようじゃないか。
まずは、なんといっても大久保嘉人選手でしょうか。彼の存在を知ったのも、高校サッカーでした。だって「国見の大久保嘉人」といえば、そりぁもう時の人だったんですよ。
なにせ国見高校3年時に、インターハイ、国体、冬の選手権と三冠を達成して、大会得点王にもなってましたからね。プレーぶりを説明しなくても、この経歴だけでもいかに凄かったが伝わると思います。初めて名前を見たときは、『シュート!の久保嘉晴みたいな名前だな・・・』って思いましたけどね・笑、もう15年ぐらい前の話とはいえ、そこがキャリアの絶頂にならず、その後の日本サッカーの第一線でずっと活躍し続けているってのが素晴らしいですよ。
続いて中村憲剛選手。
憲剛選手は全国高校サッカー選手権に出場していません。高校3年生のときに、都大会の準決勝で名門・帝京高校に敗戦したのが、自身の高校生活のハイライトだったそうです。
この試合では後半の残り15分ぐらいで、一年生の田中達也選手(現:アルビレックス新潟)が出て来てドリブルでズタズタにされてしまったのだとか・・・「あれで俺は引退したんだから、達也に引導を渡されたんだよ。あのときの帝京は、達也(田中達也)と矢野(矢野隼人)、高橋泰がいてさ・・・」と懐かしそうに話してくれたことがあります。和製ロナウドこと矢野隼人がいた時代です・・懐かしいですね。
ただ昔から高校サッカーに対する憧れは、半端無かったそうです。第70回大会の伝説の試合・四中工(四日市中央工業)対帝京から見ていて、市立船橋高校の鬼木達が登場したときは「鬼木ってすごい名前だな」とか思っていたのだとか・・・・笑。後にその鬼木達選手と一緒にプレーすることにあり、現在はコーチと選手の関係な訳ですけどね。
アジアカップの日本代表にも選出された小林悠選手は、麻布大淵野辺高校時代、2年連続で出場してます。ただポジションはFWではなく、トップ下やサイドハーフをこなす選手でした。彼がFWに転向したのは、意外にも拓殖大学に入ってからなんです。麻布大淵野辺高校時代のチームメートに同じく日本代表・太田宏介選手(FC東京)がいて、現在川崎フロンターレの通訳をつとめるゴンさんこと中山和也通訳が、GKコーチとして在籍していたのはフロンターレサポーターには有名な話ですね。
・・・・全員紹介してるとキリがないので、最後はノボリの話を。
登里享平選手は香川西で高校サッカー選手権に3年連続出場。高校3年時には、市立船橋相手にジャイアントキリングを起こしてます。自慢の快速を生かし、左サイドからの突破でアシストを記録しています。
ちなみにノボリは、監督の勧めもあってかなり早い段階から、卒業後は国士舘大学に入学する予定だったそうです。当時、国士舘大学サッカー部だった新井章太選手によれば、「香川西に登里というめっちゃ速い選手がいて、そいつがウチのサッカー部に来る」というのがすでに噂になっていたほどで、選手権でのノボリのプレーをみんなで見ながら、「こいつ、すげぇじゃん!」とか盛り上がっていたのだとか。
でもその後、「フロンターレに入りました」と言われて、「はっ?」ってズッコケたそうです。ただここで話がややこしいのは、ノボリがJリーガーでありながら、国士舘大学生だったこと。高校の監督からプロに進む条件として大学に通うことを言われていたから大学に進んだわけですが、国士舘大サッカー部の先輩達はそんな事情を知らないわけです。
あるときフロンターレに入ったはずの人物を大学の校舎で見かけたらしく、「なんで???」と騒然となっていたら、サッカー部の後輩が「自分、登里と同じ授業を受けてますよ」ってサラッと言ってて、先輩はみんな「?????」となったのだとか。誰も悪くないんだけど、確かにややこしい!登里享平じゃなくて、ややこし里・享平やわー!
・・・って最後は、高校サッカー関係なくなってるし!!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。