2011.3.11


東北地方太平洋沖地震におきまして、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復興を心より祈念いたします。
エルゴラッソでは、3月16日発売の本紙の中から東日本震災に関する6ページ分をPDFにて無料で配信しています。一人でも多くの方々に読んでいただきたけたら、と思います。
[3/16臨時号PDF配信のお知らせ]「フットボールを通じ、我々は、共にある」
 自分のことも書いておこうと思います。
 3月11日のあの時間、自分はフロンターレの練習取材に向かっていました。
エルゴラのプレビュー原稿はすでに発売されていたので、この日は練習場に足を運ぶつもりはありませんでした。ただマリノスとの神奈川ダービーは日曜日開催。締め切り時間の都合上、エルゴラのマッチコラムは試合中に書かなければなりません。その原稿を書く準備として、前々日の実戦形式のトレーニングで取り組んでいたことが実際の試合でどう反映されるのかをしっかり見ておこうと思い、足を運びました。
練習開始は14:30.
地元駅からの電車に一本乗り遅れてしまったものの、新百合ヶ丘駅からタクシーに乗って麻生の練習グラウンドに向かいました。異変に気付いたのは、練習場のある丘が見えてきた道路を走っているときのことです。道すがらにあるセブンイレブンから、血相を変えて駐車場のほうに飛び出してきたお客の姿が目に飛び込んできました。
「なんだろう?」
最初はそのコンビニに強盗でも入ったのかな、と思いました。車内の外を光景を見ていぶかしがる僕を見て、タクシーの運転手さんが言います。「大きい地震ですね。すごく揺れてますよ。いま、私もハンドルが大きく持っていかれそうになりました・・・ここまでは初めてですよ」
タクシーの車内にいた自分は地震にまったく気づきませんでした。車内に流れていたラジオ番組が、すぐに地震速報に変わります。
「宮城で震度7」
震度7って・・・
自分は北海道根室市出身です。道東地方は地震が多く、中高校時代には釧路沖地震、東方沖地震なども経験しています。だから、地震には慣れているつもりです。それでも、体験したのは「震度5」でした。「震度7」なんて聞いたこともありません。
 丘を登り、麻生グラウンドに着きました。
記者陣はみな情報収集に追われていました。選手たちはグラウンドで練習をしています。もちろん東北地方で大地震があったことなど選手は知る由もありません。グラウンド上でも揺れは感じたそうですが、特に支障はなかったのでチームは紅白戦もきっちりと実施していました。自分もこのときはまだJリーグは開催されると思っていたので、選手の動きやチームの狙いを把握しつつ、地震の情報収集をしていました。その間、何度も余震が起こりました。
 最初は「仙台対名古屋戦は延期かもしれない」ぐらいに思ってましたが、時間がたつにつれて被害の大きさ、ことの重大さが明らかになっていきます。通話機能は完全に麻痺。ワンセグで被害映像を確認し、ツイッターのタイムラインには対応策の情報で埋め尽くされていました。ツイッターでエルゴラッソ仙台担当・板垣記者の「とりあえず無事です」というつぶやきを発見したときの安堵感は何事にも変えられません。
 練習後、広報さんから「間もなく正式にリリースされますが、週末のJリーグは全カード中止の方向です」との旨が報道陣に伝えられました。それを受けて、エルゴラの編集部からは週明けの月曜号を休刊にする方向で調整しているとのメール連絡も入っていました。
 帰宅する何人かの選手に話をききました。
試合に向けた話を聞こうと思っていたのですが、全試合が中止になったのだから、それどころではありません。練習中に起きた地震だったこともあり、被害状況を把握している選手もほとんどいません。選手はみな慎重に言葉を選びながら、現在の心情を話してくれました。主将の井川選手は、「寝ていて揺れを感じたと思ったら、父親が覆いかぶさってきて・・・」と、幼いころに体験した阪神大震災について話してくれました。今後のことについては「できることがあれば考えていきたい」とコメント。相馬監督も「事態を知れば知るほど、試合中止は当然の決定だと思います。被害に遭われた方に対して何て言葉をかけたらいいのか・・・言葉が見つかりません」と複雑な表情で言葉を並べていました。
 取材が終わると、辺りはすっかり暗くなっています。
本来ならば帰宅する時間のはずなのですが、自宅に帰ろうにも、JRは終日運休をすでに発表。利用している小田急線も復旧の見込みが立たずとの情報が流れていました。都内は大渋滞しているので、車で送ってもらうわけにもいきません。タクシーを呼ぼうにも、電話がつながらないのだから呼べません。仕方がないので自宅までの約20キロほどの道のりを歩いて帰ろうかとも思いましたが、帰宅難民が二次被害を受ける可能性もあるとのニュースを目にして思いとどまりました。首都圏から通っている記者陣はクラブハウスで待機して様子を見ることになりました。
 だが時間がたっても、一向に状況は変わりません。
近くのコンビニに買い出しに行っても、すでにお弁当やおにぎり、パン類が早々に棚から売り切れていたとのこと。クラブスタッフや寺田周平コーチがコンビニで買った肉まんとカップめんの差し入れを記者陣してくれました。本当にありがたかったです。
 深夜になると一部の私鉄が動き出したこともあり、クラブスタッフが最寄り駅まで報道陣を送ってくれることになり、首都圏に住んでいる何人かの記者さんは駅からの徒歩を覚悟で帰宅していきました(深夜2時過ぎにみなさん無事着いたそうです)。自分は乗り継ぎが多いことと、利用している電車がどちらも復旧していなかっため、帰宅はあきらめ、クラブハウスに宿泊させてもらうことになりました。
 川崎市周辺では停電のあった地域もあったそうですが、クラブハウスでは停電もなく電源もネット環境も確保できていたので、プレスルームでノートパソコンでNHKのUSTを流しながら、仕事をしていました。「お風呂も入ってください」との好意もいただき、選手が普段使っている大浴場を利用させてもらいました。でもなかなか眠れなかったので、頼まれていた書評原稿を書いたり、インタビューの文字起こし作業をして、4時ぐらいまで起きていたのかな。さすがに横になろうと思い、記者会見やミーティングを行っている大部屋にふとんを敷いて3時間ほど寝ました。
$いしかわごうの「サッカーのしわざなのだ。」
 朝、麻生グラウンドに出て目に飛び込んできたあの眩しい日差しは一生忘れないことでしょう。本数は少ないながらも朝から電車も動いており、無事自宅に帰宅することができました。自宅の被害は少なく、ライフラインも問題ありませんでした。フロンターレのクラブスタッフさんの心使いで、普段の生活と変わらず過ごさせてもらいました。本当にありがとうございました。
 今日で地震発生から7日目に入りました。
本当にあの日以来、日本の日常はガラリと変わっています。自分が住んでいる地域は計画停電地域なので、日常生活でそれなりの影響を受けていますが、バッテリーの充電があるので、ノートパソコンも使えます。コンビニに行けば、米やパンはなくてもお菓子はあるし、水道水もちゃんと出る。被災地の方々の苦労に比べたら、無に等しいもんです。
 Jリーグ再開の見込みもたっていない状況ですが、もしかしたら、「サッカーのチカラ」が試されているのかもしれません。自分に何ができるのかはわかりませんが、サッカーに携わる者のはしくれとして、前を向いて活動をいきたいと思います。
少しずつ、少しずつ右肩あがりにしていきましょう。

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