どうも、いしかわごうです。
水曜日は等々力で天皇杯取材。栃木シティに3-1で勝利。
この日の対戦相手である栃木シティは、関東1部リーグ所属しているクラブです。J1、J2、J3で、JFLを4部リーグ相当と見なすと、関東1部リーグは5部リーグのカテゴリーにあたります。
川崎フロンターレはJ1リーグなので、実力差があるのは当然のことです。
ただ一発勝負であれば、実力差があっても、それがどう転ぶかはわかりません。不確定要素があるのがサッカーというスポーツで、栃木シティFCの今矢直城監督が狙っていたのは、立ち上がりと呼ばれる開始15分の時間帯に、川崎フロンターレの隙を突くことでした。
ただ立ち上がりのプレスを川崎フロンターレはうまく掻い潜りました。栃木にとっては、いつもの間合いと距離感ではボールが奪えない展開になったわけです。
試合後、田中パウロ淳一が「首振りの回数が全然違う」と振り返っていたのが印象的でした。
「当たり前ですけど、リーグでの違いは出ました。首振りの回数が全然違う。自分たちが(奪いに)来るのがわかっていてプレーしていた。僕らは(プレスを)ハメるときは、相手が首振っていてわかっていてもハメに行く。それでも逆を突かれる回数が多くて厳しかったです」
首を振るのは、周りの状況を確認するためです。ボールがない時に状況を認識しておけば、相手のプレスが来ても慌てません。もちろん、ただ首を振ればいいわけではなく、その時に何をどう見ておき、その情報をもとに予測をしておくために首を振って認識しておくわけですが、その情報処理能力の差がプレーの違いに現れるわけです。川崎の選手のテンポが、普段の相手とは違ったのでしょう。
18分に遠野大弥が決めて先制。その後もゲームをコントロールしましたが、後半に同点に追いつかれた時間帯もありちょっぴりヒヤリと。結果的に2点目、追加点を奪い勝ち切りました。
試合後のミックスゾーン。
田中パウロ淳一を取材していたら、横を通っていく鬼木監督が「こんなチャラい選手を取材しなくていいですよー・笑」と笑顔でイジっていきました。
実は2013年に川崎を自ら退団する際、一番引き止めてくれたのが、当時コーチの鬼木さんだったそうです。「何回も寮にきて、ご飯も誘ってくれて、電話もめっちゃ来て…」とパウロ。
結局、鬼木コーチの引き留めも振り切って海外挑戦をしたわけですが、「僕も若かったので」とパウロは振り返っていました。
うまくいかずに日本に帰ってくることになり、「なんてもったいないことを・・・」と思うかもしれないけど、彼は自分の人生を賭けて決断したのだし、若者の決断に合理性を求めすぎるのも野暮な話です。
昨日の麻生での練習後、鬼木監督にパウロに相談に乗っていた頃の話を聞けました。海外挑戦をしたい自分と、当時の試合に出れない自分。そこのギャップに悩んでいたようでした。
そこの詳しい話はレビューに書きましたが、「自分で決めてまだサッカーを続けている。それは嬉しいですね」と、あれから10年後も彼がサッカー選手であることを鬼木監督は喜んでおりました。
うまくいかず、サッカー界から去る人はたくさんいますからね。ほんと、色々あっても現役選手で居続けることは素晴らしいですよ。
と言うことで試合のレビューはたっぷりと書きました。
お品書きです。
■ベストメンバーに近い編成で挑んできた栃木シティのゲームプラン
■ぽっかりと空く中盤。小塚和季に食いつくへニキを逆手に取る構造で攻める
■「ああやって足を振ってみた結果、ゴールにつながって良かったです」チームに落ち着きを与えた遠野大弥の先制パンチ。
■厄介だった田中パウロ淳一→藤原拓海のスイッチ
■仕留め損ねていると、逆襲を喰らうのがサッカーの常
■「普通の判断とかは間違えちゃいけないシーンもたくさんありました」(高井幸大)
■「どちらかといえば、もうワンテンポ上がった。攻撃にスイッチが入ったと思う」(宮代大聖)
■「中に入った瞬間にボールが来て、自分自身も2点目を決めることができたので、信じて走り続けてよかったなと思います」(遠野大弥)
■「また戻ってきます」(田中パウロ淳一)。彼はフロンターレサポーターの前で挨拶はしなかった。
■「本当の力をつけていないと、いろんなメッキが剥がれてしまう」(鬼木監督)だから若手に厳しく、簡単にはチャンスも与えない。
全部で約9000文字。よろしくどうぞ!!
「CROSS ROAD」 (天皇杯2回戦・栃木シティFC戦:3-1)
ではでは。