先週末はJ1開催。
大分トリニータ戦でした。勝てば優勝です。
昭和電工ドーム大分での大分トリニータ戦といえば、思い出すのは2009年ですね。
11月22日で、首位で残り3試合で、全勝すれば優勝できる状況。
大分は最下位で、すでにJ2降格が決定。しかしそんな相手に敗戦し、首位を陥落。
残り2試合は連勝したものの、鹿島にそのまま優勝を掻っ攫われています。これで鹿島は3連連続で優勝。
フロンターレにとっては、またもシルバーコレクターに泣いた苦い記憶です。自分が、エルゴラッソのフロンターレ担当になった
最初の年でもあるので、忘れられません。
なお当時2009年のメンバーで、現在もチームに残っているのは、中村憲剛と、新人だった登里享平と安藤駿介の3人だけ。
小林悠(2010年入団)、大島僚太(2011年入団)も知らない歴史なのかと思うと、逆に現在いる多くの選手は経験していない訳で、そこは知らない強みもあるんじゃないかと思ってました。
・・・が、優勝を見届けてくるはずが、0-1の敗戦。
しかも前半にキャプテン谷口彰悟が退場となるよもや、よもやの苦境を挽回できず。
最後のチャンスで、GKチョン・ソンリョンが上がっていったCKで、脇坂泰斗の蹴ったボールが無情にもゴールラインを超えてしまった瞬間、「こんなに最後までうまく噛み合わないのか・・・」と複雑な気持ちにさせられました。
ただ過密日程でも現地まで行ったことで色々と思うこともありました。そんなことも含めて、今回のレビューには綴ってます。
そんな大分遠征記も読めるのでサッカーライターの取材遠征あれこれに興味ある方は読んでみてください。
ラインナップはこちらです。
■攻撃のギアを2回上げるために。ベンチメンバーから読み解く鬼木監督のゲームプランと、そこで起きた誤算。
■「ピッチを言い訳にするわけではないですが、そこに早く個人個人が対応しなくてはいけないと感じていました」(大島僚太)。入念な準備と対策に後手を踏み続けた立ち上がり。打開策を探りながら向き合っていた優勝の重圧と、足元のコントロールミス。そしてゲームを落ち着かせるために、中村憲剛が示したもの。
■「後半にプレーした選手は、後ろから見ても頼もしかった。一人少なくても、自信を持ってボールをつなぐ、走る、選手を信じてプレーする、その連続ができていた」(守田英正)。10人が見せたそれぞれの奮闘。それでも、出せなかった決定打。
■10人でも渡り合ってきた過去の鬼木采配。その共通点と今回の違いとは?
■最後まで噛み合わなかったゲームを象徴したCK。そして、サッカーで数的不利を埋めるのは盤面の駆け引きだけが全てではない。
■過去に満足はしていなくても、すべての過去に納得している。(中村憲剛の回想コラム:2014年)
■追記:僕の大分遠征記〜たまにはこんな話を。(約8000文字)
以上、6つのポイントで全部で約20000文字です、大ボリュームです。
「ぜったいに 誰も」 (リーグ第28節・大分トリニータ戦:0-1)
よろしくどうぞ。